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Faites des bêtises, mais faites-les avec enthousiasme.

卒業してしまいました

どうも、先日行われた卒業式で学長に名前を間違えられた首が座っていない人です。

御周知の通り、入学時には書くとも書けると微塵にも思っていなかったテーマで執筆した卒業論文が合格し、無事に学士(文学)の学位を拝領致しました。また、4年間の在学中に合計242単位を修得し、「日々よく学業に精励し他の模範となる優れた成績を修めた」として学業成績優秀賞を、副賞として腕時計を拝領致しました。有り難う御座いました。

自他ともに認めるボカロ好きで、まさか卒業論文でもボカロに携われるとは思っていませんでした。まあ、仏文に入った時点で卒業論文はフランス語学で書こうと思っていたのですが、どうせ卒業論文を書くなら何か面白いものが書けないかと3回生の頃から次第に思案するようになって、最後にはこのようなザマ結果となったわけです。入学時には英文法理論を研究しようと想定していたのですが、本当にあの島国のコースに行かなくて良かったとつくづく思っています。日本語が通じない日本人の教員と3年間も共に過ごしていたら確実にメンタルがやられていたことでしょう。仏文で自分の好きなことを論文に繋げることが出来て良かったです。ただ、卒業論文執筆の時期には卒業論文や研究よりも自他の人間関係で精神的に追い詰められてかなり苦しんでしまったのですが、現実逃避的に出会い系サイトに登録するなどをしたことは内緒です。尚、今のところ一度も出会えていません。出会い系サイトって、女性会員は殆ど無料だけど男性会員は大部分の機能が有料なので、非常に割に合わないのです。課金はしていません。サイト内で女性から届くメールもスパムとか業者の釣りみたいなものしか来ないのでもう本当にちんちんの底から当てになりません(今の無しで)。出会えると謳った出会い系サイトにも見放されてしまいました。死ぬまで初音ミクに慰めてもらいます。

学業成績優秀賞の話は、2月上旬に事務から頂いて、その時には、賞を頂くことが私の目標ではなく非現実的に思えたからなのか、200単位も取っていたらそりゃそうだろうと思ったからなのか、捻くれた性格の所為で素直に喜ぶ方法を忘れてしまったからなのか、5限に《生涯学習概論》の試験を控えていて持ち込み資料を必死のパッチで作っている途中で表彰云々どころではなかったからなのかは分かりませんが、「ああそうですか」と淡々と受け答えをして特別に嬉しいということはありませんでした。ただ、私が壇上に上った時に皆がどんな反応をするのだろうかと楽しみだったので、同期の皆には卒業式当日まで黙っておきました。実は2回生の時には「成績が極めて優秀である」として学修奨励賞を拝領したのですが、その時に頂いた副賞が図書カード(ルノワールの《読書》がデザインされた5000円分の図書カード)で、書籍にお金を掛けたい私は有り難く頂きながら「どうせなら10000円分くれれば良いのに」と思っていました。所詮これが大盤振る舞いできない公立大学の限界です。そして今回も副賞が出ると噂に聞いたので、まあ多分あの時の分の倍額の図書カードだろうと履んでいました。

卒業式当日は、同期の皆より30分ぐらい早くに会場に着いてリハーサルをしたのですが、そこで担当者が「副賞は高級腕時計なんです」と漏らしたのを聞いて、昨年に腕時計が壊れてしまって以来ずっと時刻をiPhoneに頼っていて(今ではiPhoneも壊れましたが)新学期も近いのでそろそろ欲しいなあと思っていた私は満更でもない気分でした。欲を言えば1年分でもいいから授業料を全額免除にして返金していただきたかったです。何でずっと半額だったのに最終学年だけ分納だったのでしょう。お金が無くて爪に火を点している公立大学だから仕方が無いです。当日に担当者から仰いだ指示では事前に頂いた説明の半分程度の事項が変更され、順序を覚えるのが苦手な私は若干パニックになりましたし、剰え代表受領者として振る舞わないといけないので壇上には余り立ちたい気分ではなく、式が執り行われている間も配布された説明の文書を何度も読み返しては溜息を漏らしていたので同列に座っていた表彰者に気遣われました。そして壇上で賞状を拝領する時には学長に気持ち好く思い切り下の名前を読み間違えられました、公衆の面前で。よく見たら演壇には読み間違い防止の為に私のフルネームを平仮名で大きく書いたポストイットが貼られていたのですが、それでも読み間違えられました。慣れているから別に良いですけれど。その後の学長の式辞の冒頭で謝罪が入るという、何とも貴重な経験(皮肉)をさせていただきました。因みに学長の式辞は要約すれば「英語を勉強しろ」ということでした。流石、グローバル(笑)大学。あと、壇上で表彰される時にどうやら私の首が座っていなかったらしいのですが、本人は全く気付いていません。幼少期から親や先生に何度も指摘されてきた、相当根深い癖です。添え木を当てたように身体を止めてしまうと自分が動いているのか動いていないのか判らなくなって嘔気が込み上げてくるので、心身の良好な状態を保つためにも何処かしら体の部位を動かしていないといけないのだと分析しています。大学に入ってから同期や後輩ちゃんに「歩く時に身体の重心が一定していない」と言われることが多々あったのですが、恐らくこれに関係していると思われます。「文学部の学業優秀賞の人、首が座ってなくない?」ってTwitterで呟いた理学部の人は末代まで呪うからな。とまれこうまれ、腕時計を頂いたのでオールオッケーです。大学の経済状況と大学生に見合った額を鑑みると4~5万円の腕時計なのだろうと思っていたのですが、気になってブランドの公式サイトで価格を調べてみたら10万円するものだということが判明いたしました。流石に息を呑みました。いやはや、こんな高価なものを頂くのも身に着けるのも初めてです、本当に有り難う御座います。でも欲を言えば授業料も全額免除にしてほしかったです。今は私の左腕で242単位が光り輝いています。 これが単位おばけの報いです。好い歳して日頃からTwitterで「おっぱいもみたい」とか「えっちしたい」とか呟いている首の座っていない人間が表彰されて高級腕時計まで着けている姿を見て心底悔しいと思いませんか皆さん。

卒業式の後日には支援機構の送別会(「追い出しコンパ」或いはそれを略した「追いコン」という言い方が、字面も響きも好きではないので拘ってこう言っている)がありまして、気恥ずかしいので断っておけば良かったと思いながらも参加して、沢山の後輩ちゃん(と一部の大学院生)に出迎えられました。4回生になってからは会う機会が減った同期とも相変わらずの調子で歓談し、ついこの前に入学したのにもう卒業かという所感のは私だけのものではなかったのだと知って安堵しました。昨年の送別会では私は卒業生に向けた動画の制作に携わったのですが、流石に今年はそういうのは無いだろうと思っていたら昨年と同じかそれ以上にクオリティーの高い動画が用意されていたので普通に吃驚しましたし嬉しかったですし序でに若干悔しかったですしまた何か動画を作りたいと思ってしまいました。支援機構にAviUtlという名の兵器を持ち込んだ元凶(cf. 2015年度のオープンキャンパス)としては、是非とも次世代に動画製作の技術を継承して今後の企画でも活用していただけたらと思います。来年の送別会でも動画を用意するつもりでしたら2年振りにお手伝いをさせていただけたら幸いです。動画の中で、お世話になったかの先輩達が、社会は貴婦人理不尽だと全員が口を揃えて言っていたので、どれだけ社会はブラックなのだよと恐々としました。ただ、私から言わせてもらうと大学で過ごしている間にも社会はリムジン理不尽だなあと既に気付かされることはありましたけれど(分かっているのか学生を碌にサポートできない事務共よ)。送別会の最後には、今までに手を組んできた戦友達がひとりずつメッセージを遣していくわけですが、それを聞いていて、4月からはもう本当に会えなくなってしまうのだなあ、でも本当に会えなくなってしまうのかなあ、と複雑な気分になりながらフライドポテトを貪り食べていました。あの店の料理が美味しかったので今度は女の子と1対1で行くつもりです(連れていかれたら覚悟しておいた方が良いですよ)。

思い返してみても、4年間の大学生活で私はなんやかんやでずっとあの場所にへばりついていたように思います。新入生として〈新入生歓迎キャンプ〉に参加してから、企画スタッフとして1年間関わったのですが、そこで思ったのは、同期(と年上)が有能でしかなく、仕事が出来過ぎるのです。技術も然りですが、何よりもタスクマネジメントがしっかり出来ている。そんなハイスペック野郎共に囲まれる環境下で私は幾度となく心を折られました。分かっていても気付いたら他のことはそっちのけでひとつの物事に集中し没頭してしまう私には相当に難しいことでした(病気をスティグマにする気は無いが、自閉症スペクトラムアスペルガー症候群に見られる一症状に似た何かを自分の中では抱いている)。このままでは後輩を持つようになった時に皆を引っ張るどころか皆の足を引っ張ってしまうと強く思うようになり、2回生の春の市大授業で企画スタッフとして関わるのを最後にしました。しかし、3回生の夏と4回生の初夏に、オープンキャンパスのリーダーから気持ち悪い熱烈なラブコールを頂いて(本当に物好きですね)、授業が多いからと遠回しに断り続けましたが、最終的には「私がこの手で最後のオープンキャンパスにしてやるからな……」と野望を抱きながら企画スタッフとして携わらせていただきました。送別会の場では時間の制約もあってきちんと伝えきれなかったのですが、私と一緒に企画スタッフとして時間を共にした同期と後輩ちゃんに対してこの場で言わせていただくならば、私の仕事の出来なさに心底驚愕し殺意を覚えられたことと存じます。その節は大変申し訳ありませんでした。改めてお疲れ様でした。また、共に企画することはなかったけれど小会議室で、或いは支援機構とは全く関係の無い所で知り合って取り留めもない話で互いに暇を潰し合った同期と後輩ちゃんに対してこの場で言わせていただくならば、私の大変面倒臭い絡みに心底辟易し失望を覚えられたことと存じます。その節は大変申し訳ありませんでした。改めてお疲れ様でした。送迎された今となっては、本当に沢山の同期と後輩ちゃんに恵まれて愛されていた、というか愛してくれていたのだなあと頭から爪先まで感じています。中学生と高校生の時には自分を犠牲にして教師の機嫌を気にしていたことや同級生からいじめを受けていたこともあってクラスルームで周りの環境を気にして過度に目立つことがないように自分をある程度隠して生きていたのですが、小会議室は自分が本当に好きなことをちゃんと言えて、そしてそれを皆がちゃんと全身で入れてくれる素敵な場所でした。恋愛教育促進支援機構には本当にお世話になりました。恋愛は1μmもプロモートされることはありませんでした。本当に有り難う御座いました。

私は高校を卒業して1年間の充電期間(「浪人」と言いたくはない)を置いて大学に入学した身です。小さい頃から体に似合わず病弱だった私は小児科に足繁く通ってはお世話になり、そこの看護婦(当時は「看護師」という呼び方は一般的ではなかった)に「大きくなったらあの大学に行きたい」と宣言して「あの大学に入るのは難しいよ」と激励された記憶が今でもぎりぎり残っています。物心が付いた頃から、この大学に行きたいと思っていました。高校生の頃には、公立で近いし英語を勉強して英語の先生になりたいからこの大学に行きたいと思っていました。小学校と中学校には放っておいても入学できましたし、高校も入学試験はあるもののまあ大丈夫だろうと思って普通に入学できました。しかし、行きたいと思っていた大学の入学試験に失敗した時には「ああ、これは当たり前のことではないのだなあ」と現実を見ました。何しろセンター試験は6割しか、二次試験(学力個別検査)では国語で2割しか得点できなかったのですから。滑り止めの私立大学でも、得意の英語一本での勝負に賭けました、高倍率の競争には勝てず(まあ勝っていたとしてもあの莫大な授業料を払えるわけがないので行っていませんでしたが)、敢え無く肩書の無い1年間を過ごすことになりました。予備校に通おうとしましたが、纏まったお金も無く、仕方なく自宅で地道に参考書を頼りに勉強する日々でした。でもそこまで勉強に紺を詰めた記憶は無く、当時お付き合いしていた3つ下の女性(後に私の首を締めて家出をして警察沙汰になって蒸発した)ともよく会っては遊んでいましたし、それはそれなりに楽しい1年間でした。予備校には行けませんでしたが、秋からは週に1回、予備校で数学の個別指導を受けることも出来ました。そして、2度目の挑戦で、C判定からの奇蹟的な合格を果たしました。折角だから大学に合格発表を見に行こうと思ったらその前に午前中に合格通知書が速達で届いてベッドから転げ落ちてしまいましたけれど。しかし、喜びも束の間、期日までに入学金を準備できない所為でこのままだと入学できなくなるという状況に陥りました。いや何処まで貧乏なのだよと思われるかもしれないのですが、私を含めて私の家族は食べ物を目の前にするとIQが2になってしまうのでお金が一向に貯まらないのです。ご飯を食べるだけのお金は十分にあるのですが、一度に費やせる纏まったお金は無いのです。エンゲル係数が高すぎるのだよ全く。失意の中、どう足掻いても無理なものは無理だと悟った私は、腹を括ってもう1年頑張ろうと決心するに至りました。が、いや全く、何が起こるか分からないものです、ご縁があって、入学金を無事に納めることが出来まして(断っておきますが裏口入学ではありませんよ)、晴れて大学に入学することが出来ました。

入学手続きの日に貰った手提げ袋の中に入っていた、振り翳せば容易に人を殺せるほどの厚さのシラバスをぺらぺらと捲って読んだ時には、規則的なレイアウトで記載された授業の数々が宝の山にしか見えなかったのです。大学生活が始まって、いざキャンパスに足を踏み入れると、周りは偏差値が60前後あるような進学校からやってきた学生ばかりで、偏差値52の今時には珍しい本当に普通の普通科の高校から出てきた私にとっては入学当初は肩身の狭い思いをしました。しかし、高校までとは違ってただひとつ決まった答えが求められることがない大学では、発表なりレポートなり試験なり、自分の分身となる作品に込められたオリジナリティがちゃんと評価されることに素直に嬉しく思い、味を占めたような想いでした。既に用意されたスタンダードや大勢の他者が向ける圧力的な目に雁字搦めになっていた私は、まさにこの時、大学が掲げる自由の中に解放されました。毎期毎年、シラバスを眺めるほど、授業を受けるほど、私の知的好奇心は関数的に躍動していきました。高校2年生で挫折した物理にも思い切って再挑戦しましたし、勢い付いて他学部の授業にも顔を出しました。何かに取り憑かれた麻薬常習犯のように、知的好奇心を充足させるために様々な学問領域の授業を履修しては、宇宙のように際限の無い学問の沼にはまっていきました。同時に、生活科学部のウェイ系学生に対する殺意もふつふつと湧いていきました。1回生前期には12コマしか埋まっていなかった時間割も、少しずつ増えていき、3回生になると一般的な学生だと履修科目の数が減っているはずなのに20コマ近く履修してはほぼ毎日のように1限から5限をぶっ通して勉強していましたし、4回生になって周りの同期は卒業論文の執筆や就職活動に打ち込んでいるのを後目に10コマ近く履修していました。食べ放題みたく、授業料の元を取るように授業を履修していきました。中学校と高校ではパッとしない成績で、大学にも合格平均点より下で入ってきた私は、学問の悦びを知り(やがって)、気が付けば最後には卒業式の壇上に居ました。242単位を修得した今でさえ、あの授業を受けておけば良かったと後悔するところがあります。医学部ではないけれども、学部は6年間あっても良いのではないかと思います。流石にそれは皆が嫌と言うか。関係ないけれども、医学部って想像以上にチャラいですね。

時間は無情にも知らぬ顔をしてこんなにも早く過ぎていき、というか崩れ去っていき、後1週間足らずで新年度を迎えます。4月から社会人として羽搏いていく同期達に、文学部で学んできた同士として、告げます。既に実感しているでしょうが、文系学部、殊に文学部には逆風が吹いてます。文系軽視の時代です。とにかく文学部は冷たくあしらわれる此の御時世です。そんな文学部で過ごしてきた私達は、社会に出たらきっと見縊られるのだろうと(勝手に)思っています。勿論、本当はそんなことなどは起こらない方が良いのですが、大学生活で経験してきた世界よりも遥かに広い世界に身を投じる以上、九分九厘、何処かのタイミングで私達のことを文学部だからという理由で下に見てくる人達が現れます。「理系の方が技術も知識もある」「所詮文系なんか遊んできた奴等」「文学なんか勉強して一体何になる」「社会では直ぐに役立つ実学が大事だ」などと、お偉いさん達はドヤ顔で宣うことでしょう。そんな自分の物差しでしか学問の価値を計れないような教養の無い視野狭窄の奴等には、私達が人間を探求することを止めた所為で、全ての人間探究者が排除された所為で、無彩色で、単一的で、味もへったくれもない、荒廃した世界を味わわせて差し上げたい。少なくともそう心の中では声を大にして言えるぐらいの気概を常に持っておきましょう。文学部は、人間が築き上げてきた思想を、歴史を、社会を、言語を、文化を学問する、畢竟、人間について探求する場所です。人文科学なのです。人間に就いて深く学んだ人々も、これらを抱えられる社会も、豊かさや多様性を持ちます。そういう人間こそが、そういう社会こそが、今の時代には必要なのです。人間が人間について目を向けることを止めてしまったその途端に、幾らサイエンスが、テクノロジーが、仮令、世界で1位になるくらいまで発達しようとも、世界は廃頽して終焉を迎えます。所謂「文系」と「理系」の両者が、互いに理解を示し、歩み寄り、手を取り合い、そこで初めて、より良い社会を創り上げる機会を手に入れられるのです。そうしていかないといけないのです。そして私達は文学部で、この世界に不可欠な、人間の本質を見つめ直すということをやってきたのです。絶対に私達の選択は間違いではなかったはずです。絶対に私達が学問に費やした時間は無駄ではなかったはずです。是非、社会に出ても、文学部で培ってきたことを遺憾なく発揮してください。たかが文系だと舐めた態度で来る奴にはぎゃんふと言わせてけちょんけちょんにしてあげてやってください。と、就職活動もしていない人間が偉そうに大層なことを言うのもあれですが、どうか餞別の言葉として納めてくれると幸いです。

因みに、私はというと、2年間のモラトリアムを手に入れ、4月からは文学研究科という名の病棟で入院と通院を繰り返すアフラックみたいな生活を送りますので、メロンとか差し入れてくれると大変喜びます。入院しているはずのに段々と元気を失っていくのですよ。不思議だと思いませんか。生命の神秘ですね。あと2年間は、後輩ちゃん達(と一部の先輩と一部の同期)とは何処かで会うことになると思います。まあ私は極力会わないようにしていきたいのですが、偶にでも見掛けたら挨拶してやってください。企画のリーダーへのお誘いは固くお断りさせていただきます。そして、同期達、特に、大阪を離れて地元に帰るか新天地へと赴く同期達は、月に1回は大阪に帰ってきてくれると、少なくとも私は喜びます。何なら週に1回でも良いです。でもやっぱりそんなに頻繁に帰ってこられると迎えるこっちもお金が掛かるのでやっぱり年に1回で良いです。また皆と必ず会える(と少なくとも私は思っている)ので大丈夫です。でも新しい場所でもちゃんと新しい人間関係を築いてください。そう言えば、送別会の時でもそうでしたが、成人を過ぎた頃から同期が結婚の話をしているのを聞いて、自分の将来の人生設計に就いてちゃんと考えているのだなと私は驚いています。良い人が見つかると良いですね。結婚式には招待していただかなくて結構です。というわけで、以上、私が恋愛感情を抱いてしまう女子には必ず彼氏がいるという残当な結末を辿ることしかできない芸人でした。長々と失礼しました。どうか体にはお気を付けて。

 

しなやかに そして したたかに 生きようか

笑ってあばよ!